恵観大阿闍梨とマバラカット

最友、平成10年12月1日

第10-11号2~4頁

 

 

 

 

2004.10.25

 

マバラカット戦没者慰霊式挨拶

 

 本日は「神風特攻隊並びに戦没者供養及び世界平和祈願祭」に、マバラカットの市長様をはじめ、フィリピン、日本両国から多くの関係者の皆さま方のご参集を賜りまして、誠にありがとうございます。この地における戦没者供養及び世界平和祈願祭は、医療法人徳州会理事長であり、衆議院議員の徳田虎雄先生の音頭で一九九八年から行っておりますが、おかげさまで六回目を迎えることができました。これもひとえに皆さま方のご支援のおかげと、心より感謝申し上げます。

 

 今からちょうど六十年前の一九四四年十月、この地にありました日本軍基地から、レイテ湾のアメリカ軍艦隊に体当たり攻撃をするために、神風特攻隊が飛び立ちました。日本では十干十二支で年回りを考えるしきたりがあり、六十年ごとに同じ定めを持った年がめぐってくると考えられておりますが、今年は神風特攻隊という、退路を断った攻撃が行われてから六十年という、記念すべき年なのであります。

 

 日本では戦後、先の戦争への反省から、戦前の軍国主義体制は言うまでもなく、戦前まで日本の社会に流れていた伝統精神や美徳まで否定されました。そういう風潮の中で、国家・国民のために尊い命を捧げた神風特攻隊の犠牲的精神も、同じように否定されてきたのであります。

 

 私の生まれ育った寺の近くに、やはり特攻隊の基地があり、戦争末期には、次々に特攻機が飛び立っていきました。若い特攻隊員たちは飛び立つ前、私の寺にお参りに来て、国家の安泰、家族の幸せを祈っていました。そして、彼らは当時小学生だった私にも、「靖国神社で会おう」と言って、死地に向かったのであります。靖国神社はお国のために戦い、非業の死を遂げた戦没者が祀られる神社であります。

 

 私は子どもの頃にそういう体験をしていましたから、特攻隊員たちがどんな思いで死んでいったか、その気持ちが理解できるのであります。したがって、国家・国民のために非業の死を遂げていった特攻隊員を冒涜するような、戦後の風潮は間違っていると感じていました。

 特攻隊員をはじめとする戦没者は、戦後日本のになった人たちであります。いわば戦後日本の根っこであります。どんなに立派な大木でも、根っこを大切にしなければ、やがて枯れてしまうように、お国のために死んでいった戦没者を大切にしなければ、その国の平和と繁栄は長続きしないのであります。

 

 日本人は戦後、先の戦争を反省するあまり、戦没者を十分慰霊してこなかったのであります。海外の戦地で戦死した日本人兵士の多くは、今も慰霊されることなく放置されたままであります。私は、それでは日本及び日本人は幸せになれないと考え、二十年ほど前から、日本国内はもとより、世界各地で戦没者の慰霊と世界平和祈願の祈りを捧げるようになったのであります。

 

 六年前、初めてこの地を訪れたとき、地元の皆さまがかつてのを超えて、神風特攻隊戦士の勇気を称えるとともに、世界平和を願って「神風神社」を建立し、長年にわたって日本人戦没者の慰霊を行ってくださっていたことを知り、心より感激致しました。本来、日本が国家として行わなければならない戦没者の慰霊を、先の戦争で二百万人という犠牲者を出されたフィリピンの方々が、頼まれもしないのにやってくださっていたのであります。こんなありがたいことはありません。神風特攻隊に命を捧げた戦士たちも、お陰さまで成仏したに違いありません。

 

 私はそれ以来、毎年この地を訪れ、戦没者の慰霊と世界平和の祈願を行っているのであります。昨年には、この地に「世界平和観世音菩薩立像」を寄贈させていただきました。観世音菩薩は大きな慈悲の心で衆生を救済される仏さまであります。この観音様が、フィリピン、日本両国の戦争犠牲者を慰霊してくださると同時に、私たちの世界平和への努力を見守ってくださるはずであります。

 

 現在の世界は、決して平和とは言えない状況が続いております。私たちは、真摯な気持ちで戦没者を慰霊し、戦争により多くの犠牲者を出すことのないよう、手に手を取り合って平和への努力を続けていく必要があります。世界平和は世界の大国の首脳たちによってつくられるのではなく、こうした民衆レベルの、地に足のついた平和の祈りから実現されるのであります。

 

 このマバラカットにおける戦没者供養と世界平和祈願が、必ずや世界平和の実現に結びつくことを念じて、ご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。

 

合掌

 

 

 

 

フィリピン全国紙「マニラ・ブレティン」2005.10.27 一面